常盤塚(ときわづか)は、常盤小六郎平盛時の墓。 常盤盛時が天正18年(1591年)6月23日に討死したあと建てられたもの[1]

概要

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常盤盛時は相模国下川尻の出身。子孫が民間に入り、文禄年間(1592年 - 1596年)頃の八王子に移住したと伝わる[1]八王子千人同心として八王子城主に仕えた。

『多摩文化・元八王子の研究』を参照すると、 常盤五兵衛平時定の二男、五左衛門の子孫が元八王子にいたとされている[2]

天正18年(1591年) に建てられた盛時とされる墓跡の戒名は「廓□不味居士之墓」であり、「居士」であることから、士分格であることがわかる。時定と盛時との関係性はわかっておらず、正確な出自も不明であるが、常盤盛時の出自とされる相模国には、桓武平氏常盤流北條氏(常盤家)が存在した。この常盤一族は、常盤時茂(北条陸奥弥四郎平時茂)を祖とし、時範など、得宗家に倣って時の字を通字として使用していた。[要出典]

脚注

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出典

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  1. ^ a b 『武蔵名勝図会』慶友社、1993年2月1日。 [要ページ番号]
  2. ^ 『多摩文化・元八王子の研究』第14号、多摩文化研究会。 [要ページ番号]