市瀬源助
元軍人
市瀬 源助(いちのせ げんすけ、1877年(明治10年)1月5日 - 1959年(昭和34年)6月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
市瀬 源助 | |
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生誕 |
1877年1月5日 日本 長野県 |
死没 | 1959年6月6日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1901年 - 1933年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴・人物
編集長野県出身[1]。1901年(明治34年)陸軍士官学校第13期卒業[1]。のち陸軍大学校に入り、1912年(大正元年)同校第24期卒業[1]。
1923年(大正12年)8月に陸軍騎兵大佐・近衛騎兵連隊長、1926年(大正15年)3月に陸軍省軍務局騎兵課長、同年10月に陸軍省軍務局馬政課長を経て、1929年(昭和4年)3月に陸軍少将・軍馬補充部附に任官する[1][2]。 その後、1930年(昭和5年)12月に陸軍騎兵学校長、1932年(昭和7年)4月に騎兵第3旅団長を経て、1933年(昭和8年)3月に陸軍中将に昇進と同時に待命、同月30日に予備役に編入した[1][2]。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。