市橋長発
市橋 長発(いちはし ながはる)は、近江仁正寺藩の第8代藩主。仁正寺藩市橋家9代。
市橋長発(清源寺蔵) | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 文化2年4月5日(1805年5月3日) |
死没 | 文政5年1月30日(1822年2月21日) |
戒名 | 大乗院殿海光宗印大居士 |
墓所 | 清源寺(滋賀県蒲生郡日野町) |
官位 | 従五位下・伊豆守 |
藩 | 近江仁正寺藩第8代藩主 |
氏族 | 市橋氏 |
父母 | 父:市橋長昭、母:酒井忠順女 |
兄弟 | 長発、長基、藤波光忠室 |
子 | 長富 |
第7代藩主・市橋長昭の次男。母は酒井忠順の娘。官位は従五位下伊豆守。
江戸藩邸にて生まれる。文化11年(1814年)11月19日、父の死去により跡を継ぐ。文政3年(1820年)、将軍・徳川家斉にお目見えする。同年12月16日、従五位下伊豆守に叙任する。しかし生来から病弱だったため、文政5年(1822年)正月晦日に18歳で死去した。跡を出羽国庄内藩出身で縁戚に当たる長富が養子となって継いだ。法号は大乗院殿海光宗印大居士。墓所は滋賀県蒲生郡日野町の清源寺。
系譜
編集父母
養子