市川昌房
市川 昌房(いちかわ まさふさ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正3年5月21日(1575年6月29日) |
官位 | 宮内助[1] |
主君 | 武田信玄 |
氏族 | 市川氏 |
父母 | 父:市川元松[1] |
兄弟 | 市川昌房、市川内膳正、養子市川昌倚 |
子 | 吉千世[1] |
経歴・人物
編集武田信玄に仕え、勘定奉行を務めた[1]。また、駿河の寺社支配に関与した[1]。元亀元年(1570年)より諏訪郡高島城代となり、同年7月6日在城料として、同郡真志野郷などの地を知行する[1][2]。のち天正3年(1575年)の長篠の戦いで戦死する[1]。昌房の死後、今福昌和が諏訪高島城代の後任となった[1]。
家督は市川昌倚が継いだ。