川端千枝
大正・昭和期の歌人
川端 千枝(かわばた ちえ、1887年(明治20年)8月9日 - 1933年(昭和8年)7月4日)[1]は、大正・昭和期の歌人。
川端千枝 | |
---|---|
生誕 |
炉口千枝子 1887年8月9日 兵庫県神戸市 |
死没 | 1933年7月4日(45歳没) |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 短歌 |
代表作 | 『白い扇』・『川畑千枝全歌集』 |
経歴
編集生い立ち
編集1887年(明治20年)に神戸市で生まれた[2]。神戸市の親和女学校卒業[3]。その年、淡路島の川畑隆平と結婚[3]。
結婚3年目を迎えた頃、ひとり娘の母となり、加寿と名付ける[2]。しかし、加寿が3歳になったばかりの1909年(明治42年)、夫と死別する[3]。
歌人としての活動
編集1913年(大正2年)亡夫の友人前田夕暮に入門する[3]。同年、『日光』同人に[3]。廃刊後、1929年(昭和4年)『香蘭』同人[3]。その後、杉浦翠子と脱退[3]。
1932年(昭和7年)に代表作として『白い扇』を刊行、1934年(昭和9年)に『川端千枝全歌集』を出版する[3]。自然主義的な歌風に出発し、抒情の豊かな歌風を貫いたとされる[2]。
晩年、死など
編集肺結核を発症し、5月頃に回復の兆しがみえるも夏に入る前に、症状が悪化し始める[2]。1933年7月4日午前11時に死去。46歳で死没[2]。
代表作
編集- 『白い扇』泰文館 (1932年)
- 『川端千枝全歌集』立命館出版部(1934年)