川島裕二
川島 裕二(かわしま ゆうじ、1960年5月16日 - )は、日本のキーボーディスト、編曲家。川島バナナ、BaNaNa、川島 BaNaNa 裕二、BaNaNa-UG(バナナユージ)など数多の別名も使用している。
川島 裕二 | |
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別名 |
BANANA BaNaNa 川島バナナ 川島 BaNaNa 裕二 BaNaNa-UG |
生誕 | 1960年5月16日(64歳) |
出身地 | 日本・長崎県長崎市端島 |
ジャンル |
J-POP ニュー・ウェイヴ |
職業 |
キーボーディスト 編曲家 |
担当楽器 | キーボード |
活動期間 | 1979年 - |
共同作業者 |
EP-4 井上陽水 安全地帯 ウズマキマズウ |
略歴
編集1960年(昭和35年)に長崎県長崎市端島(軍艦島)[注釈 1]で生まれ、3歳まで居住していた[1]。
小学校時代には町田に転居し、高校時代まで同地で過ごした。中学時代にはロックに興味をもち、同級生とバンドを組み、卒業式の謝恩会で演奏する(当時はキーボーディストが別にいたので、ドラムを叩いた)。中学時代に作曲コンクールに応募するため中学校の応援歌を作曲。優勝し、町田市立薬師中学校の応援歌として採用された。その時の賞品であったシステムステレオは中学に寄付された[要出典]。
東京都立狛江高等学校に入学。同期にチェリストの溝口肇、アナウンサーの石川みゆき、作家の駒沢敏器、ベーシストの山内薫などがいた[要出典]。
高校卒業後、1979年につのだ☆ひろが結成したファンクバンド「ジャップス・ギャップス」でデビュー。
翌1980年、佐藤薫が結成した京都のファンクユニット「EP-4」に在籍[2]。
同時期には原マスミのシングルや、1982年のアルバム『イマジネイション通信』、1984年のアルバム『夢の四倍』に全面的に参加。また井上陽水らの楽曲で編曲やキーボード演奏を担当した[3]。
1988年、安全地帯のライブツアーにサポートメンバーとして参加。同じくサポートメンバーだった松田真人は、川島を「刺激的で才能に満ち溢れたアーティスト」と評した[4]。
2001年12月6日、東京都内で交通事故(物損事故)を起こした際に、運転していた自動車の下で発見されたウエストポーチの中から覚醒剤と大麻が発見され、覚醒剤取締法違反の疑いで警視庁成城警察署に逮捕された[5]。用便を求めた際に下着の中からも覚醒剤が見つかった[5]。
2011年現在、「EP-4」とその別ユニット「EP-4 (Unit3)」[6]、小川美潮が主催する音楽ユニット「ウズマキマズウ」の一員として活動している[7]。
レコーディングに参加したミュージシャン
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ BANANA U・G Twitterプロフィール、2021年4月12日閲覧。
- ^ 「EP-4-dark」 EP-4
- ^ 後藤次利「後藤次利 DISCOGRAPHY」 Tsugutoshi Goto Official Site、2006年。(閲覧:2007年8月18日)
- ^ 松田真人「2002年11月05日(火)」 MASATO MATSUDA Official Website、2002年11月5日。(閲覧:2007年8月18日)(2007年9月29日時点のアーカイブ)
- ^ a b “芸能界覚せい剤汚染!“バナナ”初公判”. ZAKZAK (2002年3月8日). 2005年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月11日閲覧。
- ^ 「EP-4の別ユニット登場!伝説的インディー・レーベルのテレグラフ関連イヴェント開催」 TOWER RECORDS ONLINE、2011年10月9日閲覧
- ^ 仙台〜浪江(福島)ツアー! ウズマキマズウ公式BLOG、2007年7月30日、2007年8月18日閲覧
関連項目
編集- EP-4
- テレグラフ (レコードレーベル) - EP-4の音源をリリースしていたインディーズレーベル
- 原マスミ
外部リンク
編集- BANANA U・G (@bananaug) - X(旧Twitter)
- 川島裕二バナナ (bananaug) - Facebook