南京極駅
(川上温泉駅 (北海道)から転送)
南京極駅(みなみきょうごくえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡京極町字更進にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。電報略号はミキ。事務管理コードは▲131918[3]。
南京極駅 | |
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みなみきょうごく Minami-Kyōgoku | |
◄留産 (2.1 km) (3.4 km) 東京極► | |
所在地 | 北海道虻田郡京極町字更進 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 65.0 km(伊達紋別起点) |
電報略号 | ミキ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)10月21日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅[1] |
歴史
編集- 1928年(昭和3年)10月21日 - 胆振鉄道京極駅 - 喜茂別駅(初代)間開通に伴い、川上温泉停留場(かわかみおんせんていりゅうじょう)として開業[1]。旅客のみ取り扱い[1]。
- 1941年(昭和16年)9月27日 - 胆振鉄道が胆振縦貫鉄道に譲渡(合併)される。それに伴い、同鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化され、路線名を胆振線に改称し、同時に駅に昇格[1]。それに伴い、同線の南京極駅となる[1]。同時に一般駅化[1]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 業務委託駅化[4]。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1][5]。無人駅となる[6](簡易委託化[7])[4]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
駅名の由来
編集→「京極」の由来については「京極町」を参照
旧駅名の「川上温泉(かわかみおんせん)駅」は、駅前に湧出する温泉の名に由来する[8]。その後の胆振縦貫鉄道国有化に際し、「京極村の南にあるので」として「南京極駅」と改名された[9]。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(倶知安方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[8]。
無人駅(簡易委託駅)となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホームから少し離れていた[8]。ホーム中央部分の出入口は階段となっていた。[8]。
利用状況
編集- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は29人[8]。
駅周辺
編集駅跡
編集2001年(平成13年)時点では広い空地となっており、駅前に植えられていたイチイの木のみが残っていた[11]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[12]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、859頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 京極町史 昭和52年3月発行 P825-826。
- ^ 「日本国有鉄道公示第383号」『官報』1971年9月30日。
- ^ 「通報 ●胆振線蟠渓駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年9月30日、11面。
- ^ 「営業体制近代化」『交通新聞』交通協力会、1971年10月6日、1面。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)92ページより。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、81頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)68-70ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)154ページより。