川上喜八郎
川上 喜八郎(かわかみ きはちろう、1920年(大正9年)5月22日[1] - 1983年(昭和58年)1月20日[1])は日本の政治家。1975年から1982年まで新潟県新潟市長を務めた。
川上喜八郎 かわかみ きはちろう | |
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生年月日 | 1920年5月22日 |
出生地 | 新潟県新潟市 |
没年月日 | 1983年1月20日(62歳没) |
出身校 | 新潟県立新潟中学校 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1975年5月2日 - 1982年12月14日 |
来歴
編集新潟市出身[1]。1938年(昭和13年)新潟県立新潟中学校(現・県立新潟高等学校)卒業[1]後、県局長、県職労委員長をへて、1975年(昭和50年)の新潟市長選に日本社会党、日本共産党の推薦を得て立候補。「人間都市新潟」をスローガンに初当選[1]を果たし、新潟市では初、新潟県内では6番目の革新市政となる。1982年(昭和57年)12月14日、体調不良により2期目の任期を約4ヶ月残し辞任する[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
関連項目
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