嶌田川儀兵衞
嶌田川 儀兵衞(しまだがわ ぎへえ、1844年8月 - 1922年2月15日)は、上野国邑楽郡(現在の群馬県館林市)出身で東関部屋に所属した大相撲力士。本名は東関 庄助(あずまぜき しょうすけ)、旧姓は濱野儀兵衛(はまの ぎへえ)。 最高位は東前頭9枚目。
人物
編集1844年(天保15年)生まれ。1869年染手綱で序ノ口。三段目で嶌田川と改名し、1875年幕下二段目10枚目(十両格)。負け越しが多かったが十両を維持し、1880年5月36歳で新入幕。4場所在位したが5勝しかできず1882年5月十両陥落。1886年5月41歳で引退し年寄東関を襲名。長く在職し勧進元を3回務めた。1918年横綱太刀山に年寄名跡を譲り73歳で廃業、1922年77歳で死去。力士としては長寿であった。容貌から「鯛のジイ」と呼ばれ[1]、初っ切りの名人としても知られた。
略歴
編集主な成績
編集- 通算成績:45勝69敗12休16分6預(18場所)
- 幕内成績:5勝17敗12休4分2預(4場所)
- 十両成績:40勝52敗12分4預(14場所)
参考資料
編集- 『大相撲名力士風雲録 第11号』、ベースボールマガジン社
脚注
編集- ^ 浅坂さんの「ニックネーム力士列伝」〜その3〜 おすもうさん 2021年4月16日 (2023年2月27日閲覧)