嶋崎 昌(しまざき あきら、1914年9月24日 - 1974年3月3日)は、昭和時代歴史学者。元中央大学学長。専門は、中央アジア史。特に高昌国史を研究。

嶋崎 昌
人物情報
生誕 (1914-09-24) 1914年9月24日
日本の旗 日本富山県上新川郡
死没 1974年3月31日(1974-03-31)(59歳没)
出身校 京城帝國大学
学問
研究分野 東洋史(中央アジア史)
研究機関 中央亜細亜協会、中央大学
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出生から修学期

1914年、富山県上新川郡島村(現・富山市)で生まれた。幼くして小学校教諭の父の転勤に伴い、朝鮮半島で育った。1934年3月、京城帝國大学予科を卒業。京城帝国大学法文学部史学科に進学し、1937年3月に卒業。

東洋史研究者として(戦前)

1937年4月、京城帝国大学法文学部助手に採用された。その際の指導教授は大谷勝真であった。その後、北京の中央亜細亜協会調査員として勤務。1944年に赤紙招集に伴い、邯鄲に拠点を置いた独立混成第1旅団に入隊。1946年に復員

太平洋戦争後

1947年6月、明星中学校に教諭として勤務。1948年4月からは開成高等学校教諭。1951年4月、中央大学文学部助教授に就いた。1956年4月に同文学部教授に昇格。1967年からは文学部長・同大学院文学研究科委員長を務めた。1969年11月、中央大学学長に就任(1972年11月まで)。また、中央大学理事

1974年3月3日に癌研究会附属病院にて食道癌のため死去。死去後、中央大学名誉教授を授与され、1974年3月13日に中央大学会館にて大学葬が営まれた。

受賞・栄典[3]

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著作

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共編著

脚注

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  1. ^ 「嶋崎昌先生略年譜」『中央大学文学部紀要 72号』中央大学文学部、1974.3、196頁以下
  2. ^ 「年譜」『隋唐時代の東トゥルキスタン研究』東京大学出版会、1977.3、7頁以下
  3. ^ 上掲『中央大学文学部紀要 72号』198頁