崔致煥
崔 致煥(チェ・チファン、朝鮮語: 최치환、1922年10月22日 - 1987年5月27日)は、大韓民国の政治家、言論人、実業家。第5・6・7・10・12代韓国国会議員[1]。本貫は全州崔氏。号は錦岩(クマム、금암/錦巖)[2]。
経歴
編集1922年10月22日、日本統治時代の慶尚南道の南海郡に生まれた。1943年に満洲国陸軍軍官学校を卒業、1950年から内務省治安局保安課長と警務課長を務めた。1954年にミシガン州立大学行政科卒業。慶南、全北、忠北、ソウル特別市警察局長を経て、1958年に李承晩大統領の秘書官をした[2]。
1960年7月29日に実施された第5代総選挙に無所属で立候補して当選した。任期中は反民主行為者公民権制限法違反により議員資格を喪失したが[4]、その後も4期当選した。また、公報室長、朝鮮日報相談役、列国議会同盟韓国代表および政治分科委員長、大韓サッカー協会会長、速記協会会長、京郷新聞社長、国際新聞編集者協会会員、新聞協会副会長、新聞研究所理事、韓国在郷警友会会長を歴任した[1][2]。また、国会建設分科委員長在任当時は様々な反対を押し切り、南海大橋の建設事業を推進したにもかかわらず、1971年の第8代総選挙では民主共和党の公認をもらわなかった[5]。
1987年5月27日、持病により64歳で死去した。
脚注
編集- ^ a b “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年5月23日閲覧。
- ^ a b c “최치환(崔致煥)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “김무성의 집안…적산기업 불하 받아 전남방직 만들어” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2015年7月31日). 2023年8月21日閲覧。
- ^ “五議員資格喪失(오의원자격상실”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1961年3月13日). 2022年5月23日閲覧。
- ^ “역사의 건널목이자 성장의 트로피…‘다리’에 깃든 사연을 건너다” (朝鮮語). 문화일보 (2021年10月14日). 2023年9月24日閲覧。