島浦島
宮崎県、日向灘にある島
(島野浦島から転送)
島浦島(しまうらとう)は、日向灘北部に位置する島。離島振興法における離島振興対策実施地域名は島野浦島(しまのうらとう)となっている[1]。行政区分は宮崎県延岡市島浦町(しまうらまち)。
島浦島 | |
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本土側(道の駅北浦)からの眺望 | |
所在地 | 日本(宮崎県) |
所在海域 | 太平洋(日向灘) |
座標 | 北緯32度39分50秒 東経131度49分18秒 / 北緯32.66389度 東経131.82167度座標: 北緯32度39分50秒 東経131度49分18秒 / 北緯32.66389度 東経131.82167度 |
面積 | 2.85 km² |
海岸線長 | 15.49 km |
最高標高 | 185.5(186) m |
最高峰 | 遠見場山 |
島浦島の位置 | |
プロジェクト 地形 |
地理
編集延岡市中心部から北東に12kmの日向灘に位置する面積2.85km2、周囲15.5km[1]。本土からの最短距離は約4kmで宮崎県内最大の有人島である[2]。
標高185.5mの遠見場山を中心とした切り立った地形で、島の93%が急峻な山地となっている[1]。一方、島の周囲はリアス式海岸となっており、島の全域が日豊海岸国定公園に属している[1][2]。
島の西側の漁港周辺に住宅が密集しており、島の人口はピーク時の1955年(昭和30年)には2523人だった[2]。しかし、人口減少により2020年(令和2年)5月1日現在の人口は826人となっている[2]。
歴史
編集- 長い間、瀬戸内海~薩摩航路の中継地で『日向地誌』によると1千石未満の船なら140~150艘が係留できたという。
- 島浦港は江戸時代、延岡藩主内藤氏が参勤交代の際、最初の寄港地としていた。
- 人が定住しはじめたのは、元禄年間(17世紀末)からで、四国の徳島からの移住者が多かったといわれる。
年表
編集交通アクセス
編集脚注・参考文献
編集- 参考文献
- 『角川日本地名大辞典 45 宮崎県』 昭和61年10月 角川書店 ISBN 4-04-001450-2
- 『宮崎県大百科事典』 1983年10月1日 宮崎日日新聞社
- 『日本歴史地名大系 第四六巻』1997年11月12日 平凡社 ISBN 4-582-49046-8
関連項目
編集- 日豊海岸
- 延岡市立島野浦小学校
- 延岡市立島野浦中学校
- 延岡市立島野浦学園
- 鼻熊(千貫目)
- 日本の漁港一覧
- 宮崎県の灯台一覧
- ケーブルメディアワイワイ - 離島である島浦島もサービスエリアに含めている。
- カタノトモコ - 同島出身のイラストレーター。中学卒業まで過ごした島の生活を語った『わたし、孤島そだち。』を2012年に出版(アスキー・メディアワークス、ISBN 978-4048862370)。
外部リンク
編集- 島浦島(延岡市公式ウェブサイト内)
- 島浦町(島野浦島)(延岡観光協会)
- 宮崎県延岡市島浦町 (452031370) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット