島津忠兼 (播磨家)
島津 忠兼(しまづ ただかね)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。播磨国下揖保荘地頭。
時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 忠兼→道善(法名) |
別名 | 通称:三郎左衛門尉 |
官位 | 従五位下、周防守 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利尊氏 |
氏族 | 島津氏(播磨島津氏) |
父母 | 父:島津忠藤、母:島津行景娘 |
兄弟 | 忠兼、忠範 |
子 | 忠親、範忠 |
生涯
編集元弘3(1333)年4月27日、足利高氏(尊氏)より後醍醐天皇の勅命を伝えられ、元弘の乱に参戦した。後に尊氏と共に建武政権から離反して畿内各地を転戦し、観応の擾乱でも尊氏党に与し活躍。歴戦の武功により播磨布施郷・甲斐国花崎郷・相模国山内荘・同岩瀬郷等を領有する。
忠兼の奮戦は『越前島津家文書』(国立歴史民俗博物館蔵、国の重要文化財)に詳しい。同文書には忠兼ら尊氏の馬廻衆と推定される53名からなる一揆契状が収録されており、特に貴重な史料とされている。