島津彰久
日本の戦国時代~安土桃山時代の武将。日向佐土原藩初代藩主島津以久長男で、垂水島津氏初代当主。薩摩清水城城将を勤めた
島津 彰久(しまづ てるひさ)は、安土桃山時代の武将。島津氏の支族で島津宗家の家臣。垂水家の祖とされる。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 永禄10年(1567年) |
死没 | 文禄4年7月5日(1595年8月10日) |
別名 | 通称:又四郎、守右衛門尉 |
戒名 | 天宗慈雲大禅定門 |
氏族 | 島津氏(垂水家) |
父母 | 父:島津以久、母:北郷時久長女・池上[1] |
兄弟 |
彰久、入来院重時、忠興、 花庭玉蓮大姉(北郷忠能正室) |
妻 | 正室:島津義久次女・新城 |
子 | 久信 |
永禄10年(1567年)、島津以久(後に日向国佐土原藩初代藩主)の長男として誕生する。
天正12年(1584年)の沖田畷の戦いなどで軍功を挙げる。天正15年(1587年)6月、島津義久が上洛した際にその供をし、そのまま父・以久の人質として数年間を京で過ごした。薩摩国に帰還後は清水城に在城した。
文禄元年(1592年)の文禄・慶長の役は、本家・島津忠恒に従い朝鮮へ渡海するが、文禄4年(1595年)に当地の唐島(巨済島)で病により陣没した。家臣・安田次郎兵衛が殉死している。また、彰久の病死により川上忠実が軍代となった。