島津亮
島津 亮(しまづ りょう、1918年7月18日 - 2000年3月1日[1])は、俳人。
香川県出身。旧制大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古語学科卒。1946年、応召先の天津から引揚げ、句作開始。鈴木六林男らの「青天」を通じて西東三鬼に会い師事する。1948年「雷光」創刊同人(1950年廃刊)。1951年「梟」創刊同人。1957年「夜盗派」同人(1960年終刊)。1960年「縄」同人。1962年「海程」創刊同人。1968年「ユニコーン」創刊同人。代表句に「怒らぬから青野でしめる友の首」など。この句は金子兜太が『今日の俳句』(1965年)で取り上げて広く知られるようになった作品で、同性愛的な趣があるとも評されている。1956年の作で、島津の句はこの頃より前衛俳句の傾向を強め、関西における前衛俳句運動の中心の一人となっていった。句集に『紅葉寺境内』『記録』『唱歌』『亮の世界』がある。
脚注
編集- ^ 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.305
参考文献
編集- 堀之内長一 「島津亮」 金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年、146-147頁
- 冨田拓也 「俳句九十九折(21)俳人ファイル ⅩⅢ 島津亮」 ―俳句空間―豈weekly、2009年1月15日(2014年4月22日閲覧)
外部リンク
編集- 島津亮の句の鑑賞 - ウェイバックマシン(2014年4月23日アーカイブ分)(増殖する俳句歳時記)
- 関西俳句の今昔4 島津亮「関西だより」(青木亮人。関西現代俳句協会)