島津久濃
島津 久濃(しまづ ひさあつ)は、薩摩国薩摩藩宮之城島津家第10代。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛延2年7月16日(1749年8月28日) |
死没 | 明和7年6月13日(1770年7月5日) |
別名 | 図書(通称) |
墓所 | 鹿児島県宮之城町宗功寺 |
主君 | 島津重豪 |
藩 | 薩摩国薩摩藩 |
氏族 | 島津氏 |
父母 | 父:島津久倫、養父:久亮 |
子 | 島津久郷室、種子島久照室、養子:久郷 |
家系
編集宮之城島津家家は、島津忠良の三男尚久に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降、薩摩国宮之城を領した。久方の代に一所持となり、久倫の代に大身分となる。家紋は宮之城十文字。
略歴
編集寛延2年(1749年)薩摩藩宮之城前領主島津久倫の子として生まれる。当時の宮之城家は義兄の久亮が家督を継いでいた。[1]
宝暦13年(1763年)に義兄の久亮が死去したため、宮之城家の家督を相続し、代々の通称「図書」と名乗る。
明和7年(1770年)6月13日、死去。享年22。家督は、分家島津久平の子久郷が婿養子となって相続した。
出典
編集- ^ 平田四郎兵衛、明治29年、P10