岸本茂雄
岸本 茂雄(きしもと しげお、1904年11月7日 - 1950年8月29日)は、昭和時代の労働運動家[1][2]。日本共産党中央委員。
経歴
編集兵庫県生まれ。高等小学校卒。1922年総同盟神戸連合会に加入。1925年日本共産党から派遣され東洋勤労者共産主義大学(クートベ)に留学。1926年帰国して共産党に入党、京浜地区委員。同年評議会関東金属労働組合に加入、京浜地区でオルグとして活動。1928年三・一五事件で検挙、懲役8年の判決を受け、1938年2月出獄[3]。1939年10月岩本巌、堀江壮一、西川彦義と阪神地区で党再建運動に取り組んだが、1940年9月に検挙(日本共産党再建中核指導部事件)[4][5]。敗戦後の1945年10月多田留治らと共産党兵庫県委員会を再建し、県委員[3][6]。1946年2月の第5回党大会で中央委員候補、1947年11月の第6回党大会で中央委員[3]。1950年1月のコミンフォルム批判を受けた第18回拡大中央委員会ではいわゆる国際派の立場を取った[7]。同年6月6日GHQにより日共中央委員24人全員の公職追放令が発令[8]。同年8月29日45歳で死去。
脚注
編集- ^ 鈴木正節「岸本茂雄」、現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年、66頁
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 コトバンク
- ^ a b c 塩田庄兵衛編集代表『日本社会運動人名辞典』青木書店、1979年、202頁
- ^ 中村福治『戦時下抵抗運動と「青年の環」』部落問題研究所、1986年
- ^ 原全五『大阪の工場街から――私の労働運動史』柘植書房、1981年
- ^ 増山太助『戦後期 左翼人士群像』柘植書房新社、2000年、191-192頁
- ^ 小山弘健著、津田道夫編・解説『戦後日本共産党史――党内闘争の歴史』こぶし書房(こぶし文庫 戦後日本思想の原点)、2008年、84頁
- ^ 法政大学大原社研 反共宣伝の激化、全中央委員の公職追放〔日本労働年鑑 第24集 723〕