岸城神社
岸城神社(きしきじんじゃ)は、大阪府岸和田市岸城町にある神社。旧社格は郷社。岸和田城の東に所在し、岸和田だんじり祭の宮入りで知られる[1]。
岸城神社 | |
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![]() 拝殿 | |
所在地 | 大阪府岸和田市岸城町11-30 |
位置 | 北緯34度27分32.2秒 東経135度22分21.3秒 / 北緯34.458944度 東経135.372583度座標: 北緯34度27分32.2秒 東経135度22分21.3秒 / 北緯34.458944度 東経135.372583度 |
主祭神 | 天照皇大神、素戔嗚尊、品陀別命 |
社格等 | 旧郷社 |
例祭 | 9月14日-15日 |
地図 |
祭神
編集歴史
編集そもそも当地では、伊勢神宮より勧請された天照皇大神を祀る神明社があり、現在の宮本町、上町、五軒屋町の産土神として信仰されていた[2]。その後、14世紀の末に岸和田城が築城されると、京都の祇園感神院(現・八坂神社)から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して神明社とは別に牛頭天王社も建立され、祀られるようになった[3]。また、岸和田庄が石清水八幡宮領となった際には八幡神が勧請され、八幡宮も建立された。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉の叔父で家臣の小出秀政が岸和田城主となり、慶長年間(1596年 - 1615年)に岸和田城を大改修する事となった。その際に、秀政は現在当社がある地に付近にあった牛頭天王社と八幡宮を移して合祀し、「御宮」を建立した。また、境内には神宮寺として日光寺も建立された[2][3]。
寛文6年(1666年)には岸和田城の城郭拡大に伴い、神明社の付近に新たに城門が作られた。それにより門の名は神明門とされ、神明社は天照太神小社とも称されて親しまれた[2]。
1868年(明治元年)に神仏分離が行われると日光寺は廃寺とされ、「御宮」は岸城神社へと改称された。また、同年に神明社も当社境内へと移された[2]。
2008年(平成20年)の本殿改修時、神明社の祭神・天照皇大神は本殿に合祀された[2]。
当社は9月の例大祭に関連した岸和田だんじり祭で知られる他、岸和田城が千亀利城(ちきりじょう)と呼ばれていたのに因んで、縁結びの神(ちぎりのかみ)としての信仰も集めている[3]。
境内
編集摂末社
編集-
岸和田戎神社
-
稲荷神社
-
七間社
祭事
編集毎月
編集- 1日:月始祭、住吉神社・月並祭
- 10日:岸和田戎神社・月並祭、琴平神社・月並祭
- 13日:月次祭、春日神社・月並祭
- 14日:日吉神社・月並祭
- 17日:厳島神社・月並祭
- 25日:菅原神社・月並祭
- 28日:愛宕神社・月並祭
- 午の日:稲荷神社・月並祭