岩田豊麿
明治時代から大正時代にかけての日本画家
岩田 豊麿(いわた とよまろ、1877年[注釈 1] - 1951年[1])は明治時代から大正時代にかけての日本画家。号は秋斎[2]。子は古地図研究家の岩田豊樹[1]。妻は江戸川乱歩の叔母(母の妹)[3]。
略歴
編集尾形月耕及び小堀鞆音の門人。1877年、三重県安濃郡安東村(現・津市)の西川家に生まれ[4][5]、元津藩士の岩田家の養子となる[5]。1911年頃の牛込時代の月耕に学ぶ。主に日本絵画協会や日本美術院連合絵画共進会、文展、帝展などにおいて作品を発表している。1923年11月上旬に飯田に滞在、11月7日に常磐町の仙寿楼において豊麿の画会が開催されている。この会の会員数は60名で、「東京の特殊学校復興の為の資金調達」がその目的であったと記されている。
作品
編集- 「渡河布袋図」 絹本着色
- 「新緑観瀑図」 絹本着色
- 「松下人物図」 絹本着色
- 「二条城の桜」 絹本着色
脚注
編集注釈
編集- ^ 生年には1872年、1875年、1877年と諸説あり。『現代日本美術家全録』では1875年(明治8年)11月25日生まれ。
出典
編集参考文献
編集- 木沢孚 編『現代日本美術家全録』(画報社、1914年)い8頁
- 『Bien Vol.45 特集尾形月耕とその一門』 藝術出版社、2007年 ※30頁
- 飯田市美術博物館編 『「南信」新聞美術記事年表(明治・大正編)』 飯田市美術博物館、2011年