岩田英二
岩田 英二(いわた えいじ、1896年(明治29年)1月15日[1] - 1970年(昭和45年)10月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兵科は砲兵科[1]。
岩田 英二 | |
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生誕 |
1896年1月15日 日本 愛知県 |
死没 | 1970年10月21日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1916年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1896年(明治29年)に愛知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期卒業[1]。1939年(昭和14年)10月に野砲兵第39連隊長(第11軍・第39師団)に就任し[2]、日中戦争に出動して[1]、宜昌作戦などに参加した[1]。1941年(昭和16年)3月1日に陸軍大佐に進級し[2]、11月1日に陸軍野戦砲兵学校教官に転じた[2]。
1944年(昭和19年)8月に陸軍野戦砲兵学校附となり[2]、1945年(昭和20年)6月10日に陸軍少将進級と同時に第3砲兵団長に着任[1][2]。7月25日に第3砲兵司令官(第1総軍・第13方面軍・第54軍)に就任し[1]、愛知県新城に布陣し、本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。