岩牟礼城(いわむれじょう)は、宮崎県小林市東方の城ヶ迫にあった日本の城。築城年代、築城者などは一切不明。「城の岡」と呼ばれる標高365メートルの高所に位置し[3]、小林市にあった城の中では一番高地にあった城である。

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岩牟礼城
宮崎県
別名 岩瀬城
城郭構造 山城
天守構造 建造されず
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 伊東氏島津氏
廃城年 元和元年(1615年
遺構 曲輪空堀土塁[1]
指定文化財 史跡等未指定[2]
位置 北緯31度58分45.54秒 東経131度01分21.23秒 / 北緯31.9793167度 東経131.0225639度 / 31.9793167; 131.0225639
地図
岩牟礼城の位置(宮崎県内)
岩牟礼城
岩牟礼城
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概要

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真幸院・小林郷と穆佐院・野尻郷(旧西諸県郡野尻町)の境に位置し、伊東氏が小林郷を領有していた際には守備兵が置かれ、何かしらの変事が起こった際には野尻城以下に向けて狼煙を上げる役目を担っていたようである。

歴史

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天正4年(1576年)に高原城小林城須木城島津氏に帰すると、岩牟礼城も島津氏の城に帰したとされる。

天正15年(1587年)、豊臣秀吉九州征伐に乗り出した際は、豊臣秀長の軍がこの城まで侵攻してきている。

元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。

明治10年(1877年)の西南戦争の際には、この城跡に立て籠もった西郷軍と、水流迫(つるざこ)に陣を構えた官軍が砲撃戦を行った。

脚注

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  1. ^ 宮崎県教育庁文化課 1998 p.20
  2. ^ 「小林市指定文化財一覧」小林市公式HP
  3. ^ 宮崎県教育庁文化課 1999 p.128

参考文献

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関連項目

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