岩本晴之
日本の政治家
岩本 晴之(いわもと はるゆき、1834年1月25日(天保4年12月16日[1]) - 1913年(大正2年)11月21日)は、日本の政治家(衆議院議員)。阿波国(現徳島県)出身。通称は才二郎。
経歴
編集香川周八の子として生まれ、のち岩本品蔵の養子となる[1]。学問を新居水竹に学ぶ。明治維新後は徴士、三河県(現・愛知県)判事、白川県(現・熊本県)大参事、民政局検事助役、徳島藩権大属、名東県権大属、同大属、中属を経て[2]、司法省に入り、少解部、権中解部、大区長兼学区取締となる[2]。1875年に徳島に戻り自由民権運動に参加。その後、阿波郡長・麻植郡長・名東郡長、日本赤十字社徳島県委員長などを歴任する[2]。
1902年に第7回衆議院議員総選挙に立憲政友会より出馬し当選。その後4期に渡って当選した。