岩崎 民平(いわさき たみへい、1892年12月18日 - 1971年6月29日)は、日本英語学者・辞書編纂者。東京外国語大学名誉教授。

岩崎 民平
人物情報
生誕 (1892-12-18) 1892年12月18日
日本の旗 日本山口県周南市
死没 1971年6月29日(1971-06-29)(78歳没)
出身校 東京外国語学校東京帝国大学
学問
研究分野 英語学
研究機関 東京外国語学校
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経歴

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出生から修学期

1892年、山口県都濃郡富田村(現:周南市)で生まれた[1]1910年、山口県立徳山中学校(現:山口県立徳山高等学校)を卒業。東京外国語学校に進学し、1913年に卒業。

卒業後は東京府立第四中学校教諭となったが、再び東京帝国大学に入学し、1922年に卒業。

英語学研究者として(戦前)

1922年、東京外国語学校(のちの東京外国語大学)教授に就いた。1932年刊行の岡倉由三郎編『新英和大辞典(初版)』(研究社)の改訂にあたり、中心となって作業に当たった。続いて1941年刊行の『簡約英和辞典』(研究社)を編纂。本書は『新英和大辞典』の簡約版というコンセプトの辞書であったが、『大辞典』にない学習辞書的要素を加味した。福原麟太郎は自らの師匠・岡倉の『大辞典』より、この辞書を推薦した。

太平洋戦争後

1949年、新制大学移行に伴い、以降は東京外国語大学教授。1953年刊行の『新英和大辞典(第3版)』(研究社)編纂・出版に当たり、編集主幹を河村重治郎と共に務めた。1955年、東京外国語大学第2代学長に就任[2]。「学生諸君も、ただ単位を揃えていって就職口が決まれば能事終わるというような安易な考えを脱却して、気宇も大きく持ち、学問にまっしぐらに専念するほどの青年の意気を示してほしい。」と述べている[3]。研究者としては、1956年刊行の『新簡約英和辞典』(研究社)についても編纂を担当した。続いて1967年刊行の『新英和中辞典(初版)』(研究社)の編纂を担当したが、その際にホーンビーの『新英英大辞典(Ideomatic and Syntactic English Dictionary)』(開拓社)にヒントを得て文型表示を取り入れ、一躍学習用英和辞典のスタンダードとなった。

1971年に死去。『現代英和辞典』(研究社)に監修者として携わっていた中での死去であった。

研究内容・業績

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専門は英語学で、旧制中学校で教職に就いた経験もあったことから英語教育に関しても関連著作を残している。

著作

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著書
共編著
  • 『中学英語教授法』中教出版 1954
辞書編纂
訳書
記念論集

参考文献

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外部リンク

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脚注

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  1. ^ 第2代学長
  2. ^ 歴代学長(東京外国語大学)
  3. ^ 『外国語大学新聞』1955年12月16日