岩崎恵美子
岩崎 恵美子(いわさき えみこ、1944年3月8日[1] - )は、日本の医師。元・厚生省仙台検疫所所長 (初の女性検疫所長)、元・仙台市副市長。
岩崎 恵美子 | |
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生誕 |
1944年3月8日(80歳) 日本 新潟県新潟市 |
出身校 | 新潟大学医学部医学科 |
職業 | 医師 |
著名な実績 |
厚生省仙台検疫所所長 仙台市副市長 |
人物
編集新潟県新潟市出身[1]、新潟大学医学部医学科卒業。耳鼻科医として勤務の後、公衆衛生分野に移り、検疫所、国際協力機構(JICA)、世界保健機構(WHO)での活動などを通して、日本国内外における感染症対策の経験を積んだ[2]。
2007年、当時の仙台市長・梅原克彦の要請で奥山恵美子、笠原周二とともに同市副市長に就任[3]。「仙台方式」と呼ばれる先進的な新型インフルエンザ対策(地域の診療所が軽症者の診療を担う等[4])を行うなどした[5]。
2009年7月、梅原の引退に伴う仙台市長選挙に立候補したものの、民主党、社民党などが支援し、同じく副市長だった奥山に敗れて落選した。この選挙では自由民主党、公明党、日本共産党などが自主投票として新人6人が立候補、当選した奥山も同じく仙台市副市長を前職とする「恵美子」であり、地元マスコミでは、元副市長2人による「恵美子対決」とも呼ばれた[6]。岩崎は、「梅原市政の継承」を訴えたが、告示5日前の立候補表明だったこともあり、選挙戦の終盤まで出遅れを挽回できなかった[4]。
経歴
編集- 1962年3月 - 新潟県立新潟中央高等学校卒業
- 1968年5月 - 新潟大学医学部医学科卒業[2]
- 1970年5月 - 医師免許取得[2]
- 1975年5月 - 新潟大学医学部耳鼻咽喉科 研修医[2]
- 1978年5月 - 新潟臨港総合病院耳鼻咽喉科 医長[2]
- 1993年5月 - カルナータカ癌センター(インド・カルナータカ州) 非常勤医師[2]
- 1996年1月 - 新潟大学公衆衛生学教室 非常勤講師[2]
- 1996年4月 - タイ国マヒドン大学(Mahidol University)熱帯医学・衛生学 ディプロマコース入学[2]
- 1996年9月 - 同・修了、Tropical Medicine & Hygene の学位取得[2]
- 1997年3月 - JICA派遣専門家として、パラグアイの地域保健強化プロジェクトに参加[2]
- 1998年4月 - 厚生省・成田空港検疫所 企画調整官[2]
- 1998年11月 - 厚生省・仙台検疫所 所長[2]
- 2000年10月 - WHOの派遣要諦により、ウガンダにおけるエボラ出血熱の診療・診断調査活動に参加[2]
- 2003年5月 - SARS対応協議のためのASEAN+3ヶ国空港当局者会議(マニラ)に、日本代表として出席[2]
- 2003年6月 - WHO「SARS対策専門家世界会」(クアラルンプール)に、日本代表として出席[2]
- 2007年4月 - 仙台市副市長に就任
- 2009年8月 - 仙台市長選挙に立候補するも、落選(次点)
著作
編集- 『間違いだらけのインフルエンザ対策』(日本文芸社、2009年10月)
脚注
編集- ^ a b 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.359
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 岩崎恵美子略歴[リンク切れ] 本人ブログのエントリー(2009年7月9日)、2010年4月22日閲覧
- ^ 平成19年 2007年4月25日付 官報 本紙 第4571号 8頁
- ^ a b “仙台市長に奥山氏 初の女性市長”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2009年7月26日). オリジナルの2009年7月29日時点におけるアーカイブ。 2010年4月22日閲覧。
- ^ “仙台市長選 岩崎副市長が出馬表明”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2009年7月7日). オリジナルの2009年7月9日時点におけるアーカイブ。 2010年4月22日閲覧。
- ^ 副市長2人、庁外バトル 「恵美子対決」『河北新報』 2009年7月7日、2010年4月22日閲覧
外部リンク
編集- Dr.岩崎恵美子 オフィシャルウェブサイト
- 感染症予防、手洗いが重要 岩崎恵美子氏が講演 大分政経懇話会 2021年4月
- 仙台市新型インフルエンザへの取り組み(日本医療政策機構) 岩崎恵美子講演、2008年9月