岩切 信房(いわきり のぶひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将島津氏の家臣。

 
岩切信房
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
別名 信家、通称:雅楽介
戒名 亀山宗鶴居士
主君 島津義弘
氏族 岩切氏
父母 父:岩切善信
信光(信元とも)
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父・岩切善信の後を継ぎ、島津義弘の近侍20人の中の一人として仕える。天正15年(1587年)には島津氏の側近として朝廷に謁見し、後に朝鮮出兵にも参加する。その後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにも従軍し、帰国後に感状と知行200石を与えられている。年度不明ながら5月13日に没した。

飯田忠彦は、軍師として島津氏に仕えた祖父・信朗、父・善信と比べて、「信房は自らの保身のことばかりを考え、家臣としては難がある人物であった」と評している。

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