岡稔
岡 稔(おか みのる、1924年8月31日[1] - 1973年9月19日[1])は、日本の経済学者。滋賀県出身[1]。一橋大学経済研究所ソ連経済研究部門教授在任中、49歳で死去した。第6回日経・経済図書文化賞受賞。
生誕 |
1924年8月31日 日本・滋賀県 |
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死没 | 1973年9月19日(49歳没) |
研究機関 | 一橋大学経済研究所 |
母校 | 東京商科大学 |
他の指導教員 | 高島善哉 |
受賞 | 第6回日経・経済図書文化賞 |
人物・経歴
編集1942年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。クラスの同級生に速水優(元日本銀行総裁)、川勝堅二(元三和銀行頭取)、本間要一郎(横浜国立大学名誉教授)などが、他クラスの同期に俳優の久米明や関恒義(一橋大学名誉教授)がいた[2]。
大学では高島善哉ゼミに所属。また日本共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に、本間や、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)、韮沢忠雄(のちに日本共産党赤旗編集局長)らとともに、主要メンバーとして参加した[2]。
大学卒業後、本間らとともに母校特別研究生となる[2]。1949年に一橋大学経済研究所にソ連経済研究部門が設置されると、同助手に着任。同時期に助教授に着任した野々村一雄や、のちに加わった宮鍋幟とともに、同大におけるソ連経済研究の基礎を築いた[3][1]。同講師、助教授を経て、1968年教授[1]。社会主義経済学会幹事[1]、一橋大評議員[1]等を歴任したが、肺がんのため49歳で死去[4]。
著書
編集単著
編集- 『ソヴェト工業生産の分析』岩波書店 一橋大学経済研究叢書 1956
- 『計画経済論序説 価値論と計画化』岩波書店 1963
- 『岡稔論文集 上 資本主義分析の理論的諸問題』新評論 1975
- 『岡稔論文集 下 社会主義経済論の新展開』新評論 1975