岡田吉弘 (教育家)
略歴
編集台湾出身。戦後、大阪府立大学応用化学科を卒業後、1970年、岡田塾を設立。「やればできる。できるまでやる」をテーマに掲げ、「学校での教育で伸ばしえない子供たちの成績を上げる」ことこそが塾の教育における使命であると、スパルタ式教育術を徹底した。チェーン展開も検討されていたが、完全に理解するまで受講生は家には帰さず、大阪市内・淀屋橋にあった塾に残すという姿勢を整えた[1]。
具体的には、通常は18時から塾を開塾するが、教室を13時(土・日・祝日の休校日は10時)から解放し、塾の会場で学校と塾から与えられた宿題を行い、講師が塾に通う子供たちのノートをチェックするところから始める。18時に開塾してからはまず前回の復習をテスト形式で行い、そこで間違ったところはそこでほったらかしにはせず、講師により間違ったところを再び解説して、完全に理解するまで徹底的に教育させる。その後、塾の授業を受け、さらに授業が終わってからも、復習の時間を最大23時まで自習しながら学ぶという姿勢を整えていた。[2]
さらに、年数回のまとまった長期休校期間中、大自然で漫画・テレビ・スマホなどの持ち込みを一切排除・禁止し、勉強と登山やスキーの両立(ただし小学6年・中学3年の冬休み合宿は中学・高校入試を意識してスキー教室には参加せず、集中講義と模試を行う)により教育に徹底的に専念させるという姿勢を取り、あえて合宿期間も1週間以上にわたり展開、勉強だけに限らず、生活習慣も自分の手で積極的に進めるため、部屋の掃除・片付け、整理整頓などの管理も自己管理させ、最終的に自らで考えて行動できるように目指していた。[3]
岡田塾は2015年に閉校となったが、それ以前に事実上の代表者は息子である岡田功(肩書は副理事長のまま)に代替わりしていた。以降は表舞台に出てくることもなく、2022年時点の消息は不明。