岡村總吾
日本の工学者
岡村 總吾(おかむら そうご、1918年(大正7年)3月18日 - 2013年(平成25年)10月26日)は、日本の工学者(電子工学・通信工学)。階級は海軍技術大尉。位階は正四位。勲等は勲二等。学位は工学博士(東京大学・1951年)。東京大学名誉教授、東京電機大学名誉学長、文化功労者。名の「總」は「総」の旧字体のため、新字体で岡村 総吾(おかむら そうご)とも表記される。
岡村 總吾 おかむら そうご | |
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日本学士院によって 公表された肖像写真 | |
生誕 |
1918年3月18日 東京府 |
死没 | 2013年10月26日(95歳没) |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京帝国大学工学部卒業 |
業績 | |
専門分野 |
電子工学 通信工学 |
勤務先 |
東京大学 東京電機大学 |
成果 |
高周波数電波通信の発振と 周波数変換デバイスの研究 ミリメートル波の 大気中伝播に関する研究 |
受賞歴 | 大川賞(2000年) |
東京帝国大学工学部助教授、東京大学工学部教授、東京大学工学部学部長、東京大学総長特別補佐、東京電機大学教授、日本学術振興会理事長、東京電機大学学長、学校法人国際大学理事長などを歴任した。
来歴
編集1918年(大正7年)3月18日、東京生まれ。マイクロ波の分野で実績を上げる。海軍短期現役士官として電探開発に従事[1]。低レベル信号を検出する高感度検波方式「岡村の方式」を発明。降雨等による電波減衰の研究から衛星通信技術に功績を残した。1991年文化功労者。2013年(平成25年)10月26日[2]。
家族・親族
編集義父は工学者で写真電送で文化勲章受章者の丹羽保次郎。
略歴
編集- 旧制三重県立宇治山田中学校、旧制第八高等学校卒業。
- 1940年(昭和15年):東京帝国大学工学部電気工学科卒業
- 1940年(昭和15年):東京帝国大学工学部講師
- 1947年1月(昭和22年):東京帝国大学工学部助教授
- 1951年10月 (昭和26年):東京大学工学博士 「極超短波磁電管の動作特性に関する研究」
- 1951年11月(昭和26年):東京大学工学部教授
- 1973年4月(昭和48年):東京大学工学部長(1975年(昭和50年)3月まで)
- 1975年4月(昭和50年):東京大学総長特別補佐(1977年(昭和52年)まで)
- 1978年(昭和53年):東京大学退官 東京電機大学教授 東京大学名誉教授
- 1990年(平成2年)4月:東京電機大学学長(1998年(平成10年)3月まで)
学外における役職
編集- 1981年(昭和56年):日本学術振興会理事長
- 1990年(平成2年):財団法人国際交通安全学会会長(1996年(平成8年)まで)
- 1999年(平成11年):国際大学理事長
- 2005年(平成17年)12月12日:日本学士院会員
- 財団法人井上科学振興財団理事
- 社団法人先端技術産業戦略推進機構名誉顧問
- 社団法人日本工学アカデミー最高顧問
- 財団法人NEC C&C財団理事
- 特定非営利活動法人日本プライバシープロフェッショナル協会会長
- 財団法人光科学技術研究振興財団評議員
- 財団法人国際教育財団理事長
- 財団法人電気・電子情報学術振興財団理事
- 財団法人新技術開発財団理事
- 社団法人科学技術国際交流センター評議員
- 財団法人東電記念科学技術研究所評議員
- 特定非営利活動法人日本プライバシーコンサルタント協会顧問
- 有限責任中間法人グローバルマネージメントアカデミー顧問
- 有限責任中間法人日本技術者連盟顧問
賞歴
編集- 2000年(平成12年):大川賞
栄典
編集出典
編集- ^ 中川靖造『海軍技術研究所 エレクトロニクス王国の先駆者たち』光人社NF文庫、1997年。ISBN 4-7698-2179-4。230頁
- ^ 東京大学教授の岡村総吾氏が死去 有名人の葬儀 2013年10月29日没
- ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊
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