岡村畯児
岡村 畯児(おかむら しゅんじ、1885年(明治18年)5月13日[1] - 1943年(昭和18年)6月4日[1])は、日本の陸軍法務官。最終階級は陸軍法務中将。軍法の権威として知られた。
岡村 畯児 | |
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生誕 |
1885年5月13日 日本 高知県幡多郡平田村 |
死没 | 1943年6月4日(58歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 19?? - 1943 |
最終階級 | 陸軍法務少将(死後中将に昇進) |
戦闘 |
日中戦争 第二次世界大戦 |
経歴
編集1885年(明治18年)5月、高知県幡多郡平田村(現在の宿毛市)に生まれた。海南中学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。
第2師団法官部理事、陸軍法務官近衛師団軍法会議法務官、兼憲兵練習所教官、兼法務部司法事務官、関東軍軍法会議法務官、陸軍法務官、兼陸軍司法事務官、兼陸軍監獄長、朝鮮軍軍法会議法務官、朝鮮軍法務部部長、兼第24師団法務部長、朝鮮衛戍刑務所所長などを歴任。
1942年(昭和17年)4月、陸軍法務少将に昇進し、南方軍法務部長に就任[1][2]。翌年6月に現職で死去し、同日付で陸軍法務中将に進んだ[1][2]。
脚注
編集参考資料
編集- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。