岡崎憲
岡崎 憲(おかざき けん、1880年〈明治13年〉11月30日[1] - 1942年〈昭和17年〉7月15日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
岡崎憲 おかざき けん | |
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生年月日 | 1880年11月30日 |
出生地 | 日本 宮城県仙台市 |
没年月日 | 1942年7月15日(61歳没) |
出身校 |
東京高等商船学校卒業 (現・東京海洋大学) |
前職 | 海軍予備員 |
所属政党 |
(社会民衆党→) (社会大衆党→) (勤労国民党→) 同交会 |
選挙区 | 神奈川県第1区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1936年 - 1942年4月29日 |
経歴
編集宮城県仙台市生まれ[3]。1907年(明治40年)東京高等商船学校(現東京海洋大学)卒[2][4]。東洋汽船に入り、外国航路の船長になる[5]。同時に海軍予備員となり、少佐となる[2]。1920年(大正9年)にイタリアのジェノバで開かれた第2回ILO総会に出席[5]。帰国後は海員組合の創立委員となり、顧問に就任[5]。その後社会民衆党の結成に参加し、中央委員となる[5]。1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙で当時の神奈川1区から社会大衆党公認で立候補して当選した[5][6]。翌年の総選挙でも再選[5][7]。いずれもトップで当選した[6][7]。1940年(昭和15年)に起きた反軍演説の対応を巡って、斎藤隆夫の衆議院における除名に片山哲らとともに反対を主張し[8]、採決を棄権した[9]。しかし、最終的には党から、離党勧告を経て、除名された[8]。除名後は勤労国民党に参加したが、党は解散させられた[10]。その後は、片山らとともに鳩山一郎率いる同交会に加入した[11]。1942年(昭和17年)の翼賛選挙には不出馬。同年7月15日死去。
脚注
編集- ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、5頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』145頁。
- ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回 60コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』49頁。
- ^ a b c d e f 『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』50頁。
- ^ a b 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』107頁。
- ^ a b 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』116頁。
- ^ a b 『東奥年鑑 昭和15年 82コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『朝日年鑑 1941年版 73コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『民衆の幸福 28コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『民衆の幸福 29コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション