岡崎シビコ
岡崎シビコは、愛知県岡崎市康生通西2丁目にあるショッピングセンターである(店舗の東半分は本町通1丁目)。1976年(昭和51年)6月1日オープン[2][3]。
岡崎シビコ[1] Okazaki CIBICO | |
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒444-0059 愛知県岡崎市康生通西2丁目20−2 |
座標 | 北緯34度57分33.2秒 東経137度9分46.8秒 / 北緯34.959222度 東経137.163000度座標: 北緯34度57分33.2秒 東経137度9分46.8秒 / 北緯34.959222度 東経137.163000度 |
開業日 | 1976年(昭和51年)6月1日[2][3] |
施設管理者 | 株式会社ユニホー 岡崎シビコ |
延床面積 | 55,159 m²[1] |
商業施設面積 | 27,970 m²[1] |
店舗数 |
160[1] ↓ 44 |
営業時間 | 10:00 - 19:30 |
駐車台数 | 110台 |
最寄駅 | 東岡崎駅 |
最寄IC | 岡崎IC |
外部リンク | 公式サイト |
歴史
編集もともとこの場所には核店舗を持たないたつき百貨店があったが、1965年(昭和40年)には核テナントとしてオカダヤ(後のジャスコ→イオン)が入った。
岡崎市の市街地再開発事業の一環として岡崎市と地元地権者が設立した「岡崎市本町康生西第二市街地再開発組合」が開発した地元主導型のショッピングセンターであった[1]。
「岡崎市本町康生西第二市街地再開発組合」はビルの名前を公募し、県内外から1.519点が集まり、審査の結果、額田郡幸田町の市民が考えた「シビコ」が採用された[4]。
1976年(昭和51年)6月1日、ショッピングセンター「シビコ」のうち、新天地ビル、たつきビルがオープン[2][3]。
1977年(昭和52年)7月5日、「シビコ」のうち、中央ビル、岡崎相互ビルがオープン[5]。
1997年(平成9年)の収入は約3億7000万円だったが、1998年(平成10年)にジャスコが撤退して専門店のみとなり、2015年(平成27年)の収入は約1億3000万円に減った。近くには百貨店など3つの大型商業ビルがあったが、いずれも閉店してマンションなどとなった。岡崎市中心市街地の年間小売販売額は、1997年(平成9年)の479億円から2007年(平成19年)には238億円にまで減少している。2023年(令和5年)5月現在、シビコ本館では地下1階、1階、2階、3階のみが使われており、上層階(4階から6階)はテナント不足から閉鎖されており、3階も2022年以降は美容室しか入居していない[6][7][8]。
あいちトリエンナーレの会場として、2013年(平成25年)は上層階が、2016年(平成28年)は上層階と1階が使用された。
脚注
編集- ^ a b c d e 岡本梓 “ライオンの隣で羊が生きていくには 地元テナント出店の諸問題”. ショッピングセンター 1977年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1977年12月1日).pp28
- ^ a b c 『東海新聞』1976年5月22日、1面、「大型SC『シビコ』第一陣 新天地、たつき両ビル 26日完工式、6月1日オープン」。
- ^ a b c 『愛知新聞』1976年5月22日、1面、「新天地ビルシビコ完成 来月一日からオープン 岡崎市 一年後には中央、相互ビルも」。
- ^ 『東海新聞』1976年5月5日、1面、「石川さんの『シビコ』採用 本町康生西第二再開発 新しいビルの名前決まる」。
- ^ 『新編 岡崎市史 現代 5』新編岡崎市史編さん委員会、1985年12月28日、616-621頁。
- ^ “サービス店舗一覧”. 理知の社事業部・岡崎CIBICO. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “フロアガイド3F”. 理知の社事業部・岡崎CIBICO. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “CIBICOとは”. 理知の社事業部・岡崎CIBICO. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “教育に適した環境 康生地区に日本語学校”. 東海愛知新聞. (2018年11月21日) 2018年11月24日閲覧。