岐阜県立益田高等学校
岐阜県下呂市にあった高等学校
岐阜県立益田高等学校(ぎふけんりつましたこうとうがっこう)とは、かつて岐阜県下呂市にあった公立の高等学校。
岐阜県立益田高等学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜県 |
設立年月日 | 1924年(大正13年) |
閉校年月日 | 2005年(平成17年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科・ビジネス会計科・経営情報科 |
所在地 | 〒509-2517 |
外部リンク |
公式サイト (ウェイバックマシンによるアーカイブ) |
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概要
編集2005年(平成17年)に岐阜県立益田南高等学校と統合し、岐阜県立益田清風高等学校の新設により廃校。校舎は益田清風高等学校萩原校舎となった後、完全統合により益田清風高等学校の校舎となっている。
校章はアルファベットのM・H・S(Mashita High Schoolの頭文字)を一筆書きで曲線的に組み合わせたような、特徴的なものであった(外部リンクのアーカイブを参照)。1949年(昭和24年)に5案ほどの中から生徒の投票で選ばれた[1]。校章を一筆書きで表現することについては、統合後の益田清風高等学校にも受け継がれている。
沿革
編集- 1922年(大正11年)1月 - 益田郡会で、実業学校設立の意見書を議決する。
- 1923年(大正12年)1月21日 - 郡内十一ヶ村[注釈 1]学校組合を設立。
- 1924年(大正13年)
- 2月7日 - 益田農林学校の設置を認可。
- 4月12日 - 開校。萩原町役場を仮校舎とする。
- 5月2日 - 開校式を行う。
- 1924年(大正13年)10月3日 - 現在地に本館(木造2階建)が完成。
- 1925年(大正14年)4月8日 - 前年に完成した本館での授業を開始。
- 1926年(大正15年)9月30日 - 講堂が完成。
- 1927年(昭和2年) - 岐阜県に移管される。
- 1929年(昭和4年)3月18日 - 女子部を設置。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 益田実業学校に改称する。
- 1948年(昭和23年)
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 商業科を設置。
- 1952年(昭和27年)10月30日 - 校舎を新築する。
- 1960年(昭和35年)3月 - 農業科を廃止。
- 1961年(昭和36年) - 講堂兼体育館が完成[注釈 2]学校組合を設立。
- 1962年(昭和37年)3月 - 濃斐分校を廃止。
- 1966年(昭和41年) - 定時制の募集を停止。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 下呂分校を廃止。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 小坂分校を廃止。
- 1976年(昭和51年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 1983年(昭和58年) - 新体育館が完成。
- 1986年(昭和61年) - 情報処理科を設置。
- 1997年(平成9年) - 事務科の募集を停止。
- 2002年(平成14年) - ビジネス会計科、経営情報科を設置。商業科、経理科、情報処理科の募集を停止
- 2005年(平成17年)4月 - 岐阜県立益田南高等学校と統合し、岐阜県立益田清風高等学校の新設により廃校。校舎は益田清風高等学校萩原校舎となる。
- 2007年(平成19年)4月 - 完全統合により萩原校舎は益田清風高等学校校舎に転用される。
著名な卒業生
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 岐阜県立益田高等学校『益田高校創立80周年』2004年10月、49-51頁。
参考文献
編集- 萩原町誌(萩原町誌編纂委員会・1962年)P.778 - 785