山高五郎
日本の造船技師
山高 五郎(やまたか ごろう、1886年10月[1][2] - 1981年8月2日[1])は、日本の造船技師。妻は須知源次郎(常陸丸事件)中佐の娘。息子は新潮社の編集者・版画家の山高登(1926年 - 2020年[要出典])[3]。
来歴
編集山高信離の子として東京に[要出典]生まれる[3]。1909年に東京帝国大学工科大学造船工学科を卒業[要出典]。三菱造船所の[要出典]造船技師として軍艦土佐、客船氷川丸などの多くの船の電気艤装設計に携わる[3]。
著書
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b “山高五郎を偲んで - 今日の海の日”. 船の科学館 (2022年8月2日). 2023年8月13日閲覧。
- ^ “第404回例会(Web#23) 2022.10.22”. 日本海事史学会 (2022年10月2日). 2023年8月13日閲覧。
“山高五郎画伯の作品と生涯” (PDF). 日本海事史学会. 2023年8月13日閲覧。 - ^ a b c 中川寛子 (2017年5月28日). “昭和の東京風景が心に響く。山高登作品の魅力と91歳で写真家デビューするまで”. LIFULL HOME'S PRESS. 2022年10月8日閲覧。
- ^ 図説 日の丸船隊史話 1981, p. [要ページ番号].