山西由之
山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10月1日 - 1986年(昭和61年)3月22日)は日本の実業家。TBS[2]社長を歴任した。
やまにし よしゆき 山西 由之 | |
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生誕 |
1922年10月1日 長崎県平戸市 |
死没 | 1986年3月22日(63歳没) |
死因 | 心不全 |
出身校 | 九州大学法文学部 |
職業 | 実業家 |
栄誉 |
藍綬褒章(1981年) 勲二等旭日重光章(1986年) マスコミ功労者顕彰(1991年)[1] |
来歴・人物
編集長崎県平戸市出身。東亜同文書院在学中に兵役に就き、1947年(昭和22年)九州大学法文学部を卒業後、改造社に入社。雑誌「改造」の編集に携わるが、1955年(昭和30年)の廃刊とともにTBSの前身であるラジオ東京に転じ、テレビ編成局長、テレビ本部長、取締役、常務、1975年(昭和50年)5月専務を歴任[1]。
1977年(昭和52年)6月29日、諏訪博の後任として社長に昇格し、東京データビジョン、テレビユー福島などの設立に尽くした[1]。1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)まで日本民間放送連盟会長。