山田 重継(やまだ しげつぐ、建久2年(1191年) - 承久3年6月25日(1221年7月16日))は、鎌倉時代初期の武士。
山田重忠の長男。母は源行家女とも伝わる。子に兼継、重親、蓮仁らがある。仮名は孫二郎。尾張国南山城主。伊豆守。
重忠の嫡男として尾張国山田郡内(現在の愛知県瀬戸市内)に南山城を築き居城したとされ「伊豆御曹司」と称された[1]が、承久3年(1221年)の承久の乱で長子・兼継を従え父と共に後鳥羽上皇方に参じ奮戦するも敗北し、幕府方に捕縛され殺害された。
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