山田習三郎
大日本帝国陸軍軍人
山田 習三郎(やまだ しゅうざぶろう、1888年(明治21年)1月3日[1] - 1941年(昭和16年)3月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
山田 習三郎 | |
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生誕 |
1888年1月3日 日本 愛媛県 |
死没 | 1941年3月14日(53歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909年 - 1941年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1888年(明治21年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[1]。1937年(昭和12年)3月1日に小倉連隊区司令官に就任し[2]、8月2日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1940年(昭和15年)3月に第1独立歩兵隊長に転じたが[2]、1941年(昭和16年)1月25日に東部軍司令部附となり[1]、3月1日に陸軍少将に進級した[2]。同年3月14日に死去[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。