山本貴三郎
山本 貴三郎(やまもと きさぶろう、1846年12月20日(弘化3年11月3日[1])- 1899年(明治32年)12月22日[2][3])は、幕末の佐賀藩士、明治期の実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
編集肥前国高来郡、のちの長崎県北高来郡諫早町[1][3](現諫早市)で生まれた。郷校で学び[1]、その後、熊本に遊学し漢学、武術を修めた[1]。16歳で帰郷し[1]、佐賀藩の選抜生となり長崎の江戸町英学校で学び[1]、さらに何礼之に師事し英学を修めた[1][2][3]。
1868年(慶応4年)戊辰戦争が開戦すると、副島種臣らと長崎に赴き[1]、振遠隊として長崎、島原、大村から隊員を募り[1]、その後、秋田に向かい新政府軍に加わった[1][2][3]。
その後、官途には就かず天草、肥前松島、平戸などで採炭事業を営む[1][2][3]。その後、豊国炭鉱(福岡県)を経営した[1][2]。その他、金辺鉄道(小倉鉄道)取締役、小倉電灯相談役、若松鉄道創立委員長などを務めた[1][2]。
1898年(明治31年)4月、小倉町会議員に就任[1]。同年3月、第5回衆議院議員総選挙(福岡県第7区、無所属)では次点で落選し[4]、同年8月の第6回総選挙(福岡県第7区、憲政本党)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。帝国議会開会中の1899年12月に東京市京橋区築地の山田病院で死去した[1][5][6]。
脚注
編集参考文献
編集- 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。