山本直良
山本 直良(やまもと なおよし、1870年3月26日(明治3年2月25日[1]) - 1945年)は、日本の実業家。公爵岩倉具視家の元家扶、日本郵船など多くの企業の役員を務め、三笠ホテルを創業した。
経歴
編集小浜藩士で岩倉具視の側近だった山本直成の二男として生まれる[1]。東京帝国大学農学部卒業後、千歳海上火災再保険に入社。日本郵船監査、明治製菓役員などの要職を歴任。1897年(明治30年)丁酉銀行創立に伴い頭取に就任した[1]。
長野県北佐久郡軽井沢町に三笠ホテルを建設している。大正11年には、南米企業組合代表者として、山科礼蔵を団長とする南米実業視察団に参加、翌年帰国。
家族
編集妻の山本愛は有島武郎の妹。息子のひとりが指揮者の山本直忠。直忠の長男が作曲家・指揮者の山本直純である。もうひとりの息子、山本直正の妻は、与謝野鉄幹と与謝野晶子の次女の七瀬[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。