山本正綱
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山本 正綱(やまもと まさつな)は、江戸時代中期の地下官人。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 延宝7年9月20日(1679年10月24日) |
死没 | 不詳 |
官位 | 従六位下修理大属 |
氏族 | 山本氏(豊臣氏) |
父母 | 父:豊臣信易、母:長井宗信女 |
子 | 利房 |
概要
編集朝廷に仕えた地下官人。『地下家伝』によると、父は内蔵寮官人の豊臣信易。
元文元年(1736年)12月29日に58歳で従六位下に叙され、翌年の元文2年(1737年)12月22日には修理大属に任官されているが、寛保3年(1743年)12月16日には病を理由に辞している[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 三上景文『地下家伝 第8-13 (日本古典全集 ; 第6期)[3]』(日本古典全集刊行会、1937年)