山本正夫 (作曲家)
日本の作曲家・音楽教育者 (1880-1943)
山本 正夫(やまもと まさお、1880年7月1日[2] - 1943年4月5日[3])は、日本の作曲家、音楽教育者。
山本 正夫 | |
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別名 | 堤 正夫(旧姓)[1] |
生誕 | 1880年7月1日 |
出身地 |
日本 兵庫県出石郡出石松ヶ枝町 |
死没 | 1943年4月5日(62歳没) |
学歴 | 東京音楽学校本科器楽部 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家、音楽教育者 |
経歴
編集1880年、兵庫県出石郡出石松ヶ枝町(現在の豊岡市出石町松枝)生まれ。東京音楽学校本科器楽部でヘルマン・ハイドリヒにピアノを師事し、1903年7月に卒業。卒業期にはラファエル・フォン・ケーベルとノエル・ペリの指導下で歌劇の研究をした。1903年から島根県師範学校に、1909年から東京府豊島師範学校に勤める[2][4]。師範学校勤務の傍、多くの童謡唱歌や校歌を制作した[5]。退職後の1937年に帝都学園女学校を設立[6][7]。
1903年7月に日本初のオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』(旧東京音楽学校奏楽堂)に参加[6][8]。
影響
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 園部 1956, p. 53.
- ^ a b 現代音楽大観 1927.
- ^ 音楽年鑑 1949.
- ^ 東京音楽学校一覧 1903.
- ^ 復活した校歌の物語(4)完 山本正夫の孫と感動の対面2010年4月1日
- ^ a b 帝都幼稚園沿革
- ^ a b 復活した校歌の物語(2) 戦後になぞの空白期間[リンク切れ]2010年3月22日
- ^ 園部 1956.