山形県立米沢工業高等学校
山形県米沢市にある高等学校
山形県立米沢工業高等学校(やまがたけんりつ よねざわこうぎょうこうとうがっこう, Yamagata Prefectural Yonezawa Technical High School)は、山形県米沢市に所在する県立の工業高等学校。略称「米工」。
山形県立米沢工業高等学校 | |
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北緯37度55分2.9秒 東経140度8分41.0秒 / 北緯37.917472度 東経140.144722度座標: 北緯37度55分2.9秒 東経140度8分41.0秒 / 北緯37.917472度 東経140.144722度 | |
過去の名称 |
米沢市立工業学校 山形県工業学校 山形県立米沢工業学校 山形県立米沢第二高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
校訓 | 朝禮訓 |
設立年月日 | 1897年(明治30年)4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 |
【全日制課程】学年制 【定時制課程】単位制 |
設置学科 |
【全日制課程】工業科 【定時制課程】産業科 |
学科内専門コース |
【全日制課程】 機械生産類 - 生産システムコース - 機械加工コース - 生産デザインコース 電気情報類 - 電気コース - 情報技術コース - 環境類 - 建築コース - 土木コース - 環境化学コース |
専攻科 | 専攻科 |
学期 |
【全日制課程】3学期制 【定時制課程】2学期制 |
学校コード | D106220250033 |
高校コード | 06129J |
所在地 | 〒992-0117 |
山形県米沢市大字川井300番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集沿革
編集旧制・工業学校時代
- 1896年(明治29年)8月 - 米沢有為会と米沢絹織物協同組合の発議に基づき、米沢市から山形県に工業学校設置が請願される。
- 1897年(明治30年)
- 1898年(明治31年)4月1日 - 山形県へ移管され、「山形県工業学校」と改称(全国で6番目、山形県初の県立工業学校)。
- 1901年(明治34年)- 敷地を拡張し、建築と機械の2工場を建設。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 建築、機械両科の本科と別科を新設。
- 1907年(明治40年)4月 - 校旗を制定。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 各科に専修科を設置。
- 1920年(大正9年)
- 1940年(昭和15年)9月15日 - 校歌を制定。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 本科工業化学科を新設。実業学校令が廃止され、中等学校令が施行される。
- 入学資格を国民学校初等科(6年)を卒業した12歳以上の男子、修業年限を4年とする。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 本科電気科を新設。
- 1945年(昭和20年)
- 4月 - 学校での授業が停止される。ただし工場等での勤労動員は継続される。
- 8月 - 終戦。
- 9月 - 授業が再開される。
- 1946年(昭和21年)
- 4月1日 - 修業年限が5年(現在の中1から高2に相当)となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 9月1日 - 本科土木科を新設。山形県立米沢第二工業学校の商業学校への転換(復帰)[3]に伴い、工業科を希望する学生を収容(移籍)。
- 1947年(昭和22年)
新制・工業高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 1950年(昭和25年)3月31日 - 「山形県立米沢工業高等学校」(現校名)に改称。
- 1952年(昭和27年)7月 - 定時制の教護会(PTA)が発足。
- 1961年(昭和36年)
- 4月1日 - 定時制に電気科を新設。4月 定時制課程電気科を新設する
- 11月 - 定時制課程にETA[5]が発足。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 山形県立高校整備計画により染織科を廃止し、色染化学科と紡織科の2学科を新設。
- 1963年(昭和38年)1月 - 定時制課程において一部給食を開始。
- 1969年(昭和44年)5月 - 定時制課程において完全給食を開始。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 紡織科を繊維工学科に改称。
- 1976年(昭和51年)11月 - 財団法人時尚奨学会を設立し、奨学金の貸与を開始。
- 1983年(昭和58年)4月1日
- 全日制課程、色染化学科・繊維工学科・工業化学科の入学定員をそれぞれ40名とする。
- 定時制課程の建築科・機械科・電気科の3学科の入学生を、くくり募集とし第3学年より学科専攻を行うこととする。
- 1985年(昭和60年)
- 4月1日 - 定時制課程に商業科を新設。
- 4月 - 体育文化活動後援会が発足。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 学科改編により、全日制課程の色染化学科と繊維工学科の募集を停止し、新たに電子機械科と染織デザイン科を設置。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 学科改編により、定時制課程の建築科・機械科・電気科のくくり募集を停止し、工業技術科を新設。
- 1991年(平成3年)8月 - 野球部が第73回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。
- 1992年(平成4年)10月 - 移転地が川井地内(現在地)に決定。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 全日制課程に情報技術科(1学級)を設置。以下の通り系・コース制を実施(3系12コース)。
- 生産システム系 - 機械科・電子機械科・電気科・情報技術科(6コース)
- マテリアル系 - 工業化学科・染織デザイン科(3コース)
- 建設系 - 土木科・建築科(3コース)
- 1997年(平成9年)
- 4月 - 移転を完了し、新校舎での授業を開始。
- 10月 - 全日制創立100周年、定時制50年記念式典を挙行。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 学科改編により、定時制課程の工業技術科と商業科の募集を停止し、産業科を新設。また定時制課程で単位制を導入。
- 2003年(平成15年)4月1日
- 学科改編により、全日制課程の工業化学科・土木科・染織デザイン科の募集を停止し、環境工学科と工業デザイン科を設置。
- 専攻科(生産情報科・定員10名・修業年限2年)を新設。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 専攻科を拡充し、定員を15名とし、素材技術分野を新設。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 学科改編により、全日制課程の電子機械科・情報技術科・工業デザイン科の募集を停止し、3類9コース制を導入。
- 機械生産類 3コース(機械設計・機械加工・素材技術)、電気情報類 3コース(電気・情報技術・意匠)、建設環境類 3コース(建築・土木・環境化学)
- 2010年(平成22年)4月 - 専攻科(生産情報科・定員12名)素材技術分野の募集を停止。
- 2012年(平成24年)5月 - 山形大学工学部との教育交流に関する協定書を締結。
- 2025年(令和7年)- 山形県立米沢商業高等学校と統合し、山形県立米沢鶴城高等学校が開校予定[6]。
学校行事
編集- 全日制課程
(3学期制)
- 4月 - 始業式、入学式
- 5月 - 生徒会総会
- 10月 - 米工祭
- 11月 - 修学旅行
- 3月 - 卒業式、修了式
- 定時制課程(2学期制)
- 前期
- 4月 - 入学式、対面式、前期生徒大会
- 5月 - 1年宿泊研修、2~4年校外研修、交通安全実技講習会、修学旅行
- 6月 - 山形県定通大会
- 7月 - 前期体育祭
- 9月 - 校内生活体験発表会
- 10月 - 山形県定通生徒の集い
- 後期
- 11月 - 後期体育祭
- 12月 - 生徒会役員改選、芸術鑑賞
- 1月 - スキー授業、後期生徒大会
- 3月 - 卒業式
部活動
編集- 全日制課程
- 運動部
- 文化部
- 愛好会
- 工業クラブ
- 機械系
- 電気系
- マテリアル系
- 建設系
著名な出身者
編集- 旧制 米沢工業学校
- 新制
交通アクセス
編集最寄りの鉄道駅
脚注
編集- ^ 米沢城の異名。
- ^ 山形県立山形工業学校(山形県立山形工業高等学校の前身)、山形県立鶴岡工業学校(山形県立鶴岡工業高等学校の前身)。
- ^ 山形県立米沢商業学校は教育ニ関スル戦時非常措置方策により、1944年(昭和19年)に工業学校に転換し、山形県立米沢第二工業学校となった。終戦により商業学校に戻り、1948年(昭和23年)の学制改革で山形県立米沢第三高等学校、1950年(昭和25年)に山形県立米沢商業高等学校となった。
- ^ 山形県立米沢第一高等学校(山形県立米沢興譲館高等学校の前身、山形県立米沢第三高等学校は山形県立米沢商業高等学校の前身、山形県立米沢第四高等学校は山形県立米沢東高等学校の前身。
- ^ Employer and Teacher Association(雇用主と教師の会)
- ^ “新高校名は「米沢鶴城」 25年開校、米沢工と米沢商が統合”. 山形新聞. (2023年10月4日) 2023年10月8日閲覧。