山形 光政(やまがた みつまさ、天文10年(1541年) - 天正18年9月21日[1](1590年10月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての地下人。
山形光秀の子。子に山形資宗。極位極官は従四位上加賀守。天正14年(1586年)、院昇殿を許された。50歳で卒去した。