山川頼三郎
山川 頼三郎(やまかわ よりさぶろう、1873年7月7日[1] - 1956年12月19日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集兵庫県出身[2]。農業を営む。養蚕製糸教師、日野製糸(株)現業部長、近江製糸(株)工場長、福住郵便局長、福住村長、同村議、多紀郡会議員、兵庫県会議員、同郡部会副議長、同参事会員、郡農会長、県農会議員、県山林会理事、全国山林会連合会参与、地方森林委員、県森林組合連合会会長、福住信用販売購買組合理事、同施業土木森林組合長となる[2]。
1937年の第20回衆議院議員総選挙において兵庫5区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選[3]。1942年の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した[4]。終戦後、公職追放となった[5]。1951年追放解除[6]。追放解除後の1956年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。