山川雅生
日本の写真家
山川 雅生(やまかわ まさお、1951年(昭和26年)3月14日 - 2023年(令和5年)1月27日)は、日本の写真家である。高倉健の専属カメラマンとして知られた。2015年11月から12月に写真展「わが心の高倉健」を高倉健の生まれ故郷、北九州市小倉で開催した。
山川 雅生 | |
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国籍 |
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出身地 | 和歌山県串本町古座 |
生年月日 | 1951年3月14日 |
没年月日 | 2023年1月27日(71歳没) |
公式サイト | なし |
経歴
編集- 1951年(昭和26年) - 和歌山県東牟婁郡(現和歌山県串本町)古座生まれ。
- 1984年(昭和59年) - 太平住宅写真部を退社後フリーカメラマンとなり、テニスのシュテフィ・グラフ、新体操のビアンカ・パノバ、ボクシングのマイク・タイソン、陸上のカール・ルイスなど人気アスリートの写真を多く撮影し、週刊文春などの雑誌のグラビアに掲載される。
- 1993年(平成5年) - 映画「ミスター・ベースボール 」の記者会見で、初めて高倉健に会う。
- 1994年(平成6年) - 映画「四十七人の刺客」で高倉健番カメラマンとなる。
- 1995年(平成7年) - 別冊太陽の取材で高倉健のイタリア旅行に同行。多くのプライベート写真を撮影。
- 1999年(平成11年) - 映画「鉄道員(ぽっぽや)」
- 2001年(平成13年) - 映画「ホタル」
- 2005年(平成17年) - 映画「単騎、千里を走る。」
概要
編集趣味で始めたカメラだったが、その腕を認められて太平住宅株式会社の写真室勤務となる。1984年にフリーカメラマンとなり、スポーツ写真を撮るようになる。やがて週刊文春のグラビア、電通のCMやドラマ、映画の撮影の仕事が増え、高倉健以外にも宮沢りえなど多くの女優、俳優の撮影の実績がある。
今までに一度も事務所、スタジオ、アシスタントを持ったことがない。知人が名刺を作ってくれたことがあるが、本人は頓着しない。仕事の依頼は知人を通じて受ける。
長く神奈川県川崎市在住だが、生まれ育った和歌山の大自然を愛する。
素朴な人柄で、武士道を愛し身体を鍛え、多くの武芸、拳法に通じる。カメラマンと並行して、高飛び込みのインストラクターを務めていたことがある。
長男の山川晃広はラジオディレクター。 弟の山川徳久は毎日放送のプロデューサー。 2023年1月27日、大腸がんのため神奈川県内の病院で死去。72歳の誕生日までひと月半だった。
写真以外の活動
編集写真展
編集- 「わが心の高倉健」(2015年11月15日:北九州国際会議場イベントホール、11月19日~12月28日:松永文庫)
作品リスト
編集発行年順
- 『SOUL and WINDS From YATSUHAKAMURA』(1996年 角川書店)※他カメラマンと連名クレジット
- 栗山千明 ACCESS BOOK―「死国」の千明、素顔の千明(1999年 角川書店)※他カメラマンと連名クレジット
- 広末涼子 映画「秘密」のすべて―Le secret(1999年、文芸春秋)
- 深田恭子in「死者の学園祭」―“shisya no gakuensai”visual book(2000年 角川書店)
脚注
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