東京都出身。1972年東京大学経済学部卒業。1974年防衛庁入庁。1980年防衛施設庁労務部労務企画課部員。各課部員を経て、1990年防衛施設庁施設部施設対策第三課長。その後防衛庁長官官房総務課長、広島防衛施設局長、那覇防衛施設局長、国際平和協力本部次長を経て2005年運用局長(2006年運用企画局長に再編)。守屋武昌の後任の事務次官に名前も挙がったが[1]退官。
- 1972年3月 東京大学経済学部卒業
- 1974年4月 防衛庁入庁 長官官房総務課
- 1974年5月 防衛局防衛課
- 1975年5月 長官官房広報課
- 1976年12月 通商産業省機械情報産業局通商課
- 1979年4月 防衛局計画官付部員
- 1980年8月 防衛施設庁労務部労務企画課部員
- 1981年4月 防衛局計画官付部員
- 1982年12月 長官官房総務課部員
- 1983年6月 防衛局調査第二課総括·分析班部員
- 1984年5月 防衛局調査第二課総括·分析班長
- 1985年4月 長官官房総務課付
- 1985年6月 在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官
- 1988年7月 装備局管理課部員
- 1989年6月 長官官房企画官(兼)装備局管理課
- 1990年7月 防衛施設庁施設部施設対策第三課長
- 1992年6月 防衛局調査第二課長
- 1994年7月 防衛局運用課長
- 内閣官房内閣安全保障室内閣審議官兼内閣総理大臣官房参事官
- 1998年 長官官房総務課長[2]
- 1999年 広島防衛施設局長
- 2000年 那覇防衛施設局長
- 2002年 内閣府国際平和協力本部事務局次長
- 2004年 防衛施設庁総務部長
- 2005年 運用局長[3]
- 2006年7月 運用企画局長
- 2007年8月 退官
- 三菱電機電子システム事業本部顧問
- 清水繁(福岡防衛施設局長)、冨永洋(防衛施設庁技術審議官)、戸田量弘(防衛研究所長)らがいる。
- 先代
- 新設
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- 防衛省運用企画局長
- 2006年 - 2007年
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- 次代
- 髙見澤將林
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