山城屋 (百貨店)
閉店した百貨店
山城屋百貨店(やましろやひゃっかてん)は、1934年(昭和9年)から2001年(平成13年)3月まで、福岡県北九州市門司区門司港・栄町地区にあった日本の百貨店である。
本社所在地 |
日本 福岡県門司市(北九州市門司区)本町11[1] |
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設立 | 1934年(昭和9年)12月[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店 |
代表者 | 木村悌蔵(社長)[1] |
資本金 | 20万円[1] |
従業員数 | 250[1] |
決算期 | 3月[1] |
山城屋 Yamashiroya | |
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店舗概要 | |
所在地 | 北九州市門司区 |
開業日 | 1934年(昭和9年) |
閉業日 | 2001年(平成13年)3月 |
商業施設面積 | 7,200 m² |
前身 | 平井屋百貨店 |
後身 | マンション |
最寄駅 | 門司港駅 |
歴史・概要
編集1896年(明治29年)2月[2]、大阪で食品販売代理店[3]として創業したのが、山城屋の始まりである。
国産第1号のウスターソースを開発した[2]山城屋(後のイカリソース)の門司支店[4]が、経営難に陥っていた平井屋を1934年(昭和9年)末に買収[5]して山城屋百貨店[6]を開業した。
国際貿易港として栄えた門司港の中心商店街の栄町地区[6](現在の門司港レトロ地区)の繁栄を象徴する[4]北九州最古の百貨店として営業[6]していた。
また、日中戦争のさなかには他の大手百貨店と共に、中国に進出。1939年(昭和14年)に上海に支店として食料品店を出店していた[7]。
しかし、門司港の衰退や小倉北区への商業機能の集中化によって地区全体が没落した影響で業績が悪化し、1994年(平成6年)には和議を申請して再建を図ったが成功せず、2001年(平成13年)3月末に閉店し、その歴史に終止符を打った[3]。
門司港レトロ地区にある跡地は西日本鉄道が買収し、1階が商業施設となったマンション「サンリヤン門司港[8]」を建設した[3]。
脚注・出典
編集- ^ a b c d e f 百貨店年鑑 昭和16・17年度, 日本百貨店通信社, (1941-1-25), pp. 158
- ^ a b 東京商工リサーチ 倒産速報 イカリソース (Report). 東京商工リサーチ. 24 May 2005.
- ^ a b c “WEEKLY DIGEST 西日本鉄道 門司の山城屋跡にマンション建設”. 財界九州2002年10月号 (財界九州社) (2002-9).
- ^ a b “関門物語「食」をたずねて(8)調味料(門司)イカリソース”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2011年12月16日)
- ^ 遠城明雄. “一九三〇年代の都市中小小売商-福岡県の場合”. 史淵140号 (九州大学) (2003-3-30).
- ^ a b c 平成22年度 北九州市商圏調査報告書 (Report). 北九州市. 2010.
- ^ 川端基夫. “戦前・戦中期における百貨店の海外進出とその要因”. 経営学論集Vol.49 No.1 (龍谷大学) (2009).
- ^ サンリヤン門司港(西鉄賃貸オフィス情報) 西日本鉄道、2019年9月16日閲覧
関連項目
編集- イカリソース - 同じルーツを持つ企業