山口 智徳院(やまぐち ちとくいん、生年不詳)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての僧兵であり武将である[1]治徳院とも。

略歴

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根来衆の一人で、1614年大坂の陣大坂城に籠城[2]木村重成隊の鉄砲頭であり、今福の戦いでは武功を挙げた[3]。大坂城が落城すると抜け出した。

脚注

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  1. ^ 豊臣方人物事典
  2. ^ 大阪城誌
  3. ^ 武家事紀

参考文献

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  • 『大阪城誌』
  • 『豊臣方人物事典』 p678
  • 『武家事紀』

関連項目

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