山内 邦臣(やまのうち くにおみ、1915年5月28日 - 1998年6月17日 )は、米文学者京都大学名誉教授。旧姓は「姉嵜 邦臣(あねざき)」。主としてユージン・オニールを研究。

山内 邦臣
人物情報
別名 姉嵜 邦臣
生誕 (1915-05-28) 1915年5月28日
日本の旗 日本奈良県奈良市
死没 1998年6月17日(1998-06-17)(83歳没)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 文学(英米文学)
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略歴

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1915年、奈良県奈良市生まれ。旧制奈良師範附属小学校、旧制奈良中学校旧制高岡中学校を経て、旧制富山高等学校を1935年に卒業。京都帝国大学文学部(英文学専攻)に進み、1938年に卒業した。その後は同大学大学院に進み、1943年まで在籍した。

その後は文学部副手となり、1939年までつとめた。1939年より旧制大谷女子専門学校講師、1940年旧制龍谷大学予科教授、1944年旧制京都府立女子専門学校教授(1946年まで)、旧制第三高等学校教授(1948年まで)。1946年に京都大学教養部助教授となり、1963年に教授昇進。1970年より奈良女子大学文学部教授を兼任(1979年まで)。1974年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は奈良女子大学文学部長(1977年まで)として教鞭をとり続けた。1979年より南山大学文学部教授。1981年より龍谷大学文学部教授。1987年より英知大学文学部教授をつとめ、1998年に退職した。

生家は浄土真宗本願寺派の寺であり、自身も大田市浄土真宗本願寺派明恩寺第13世住職をつとめた。

仏教関連での略歴

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  • 1915年 - 奈良市正覚寺[1][2](浄土真宗本願寺派)で出生。
  • 1937年 - 浄土真宗本願寺派得度
  • 1938年 - 浄土真宗本願寺派教師
  • 1944年 - 旧制第三高等学校仏教研究部長として東洋哲学など研究
  • 1945年 - 島根県大田市明恩寺(浄土真宗本願寺派)住職(1998年まで)
  • 1959年 - 浄土真宗本願寺派教学審議会委員委嘱(1959年まで)

学会における役職

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受賞・栄典

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家族・親族

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著書

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  • 『詩魂と悲劇 - ユージン・オニール研究』(山口書店) 1964
  • 『眞実一路の旅なれど』(京都修学社) 1999
  • 『眞実鈴振り思い出す』(京都修学社) 1999

共著

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訳書

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追悼出版

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  • 「サピエンチア 山内教授追悼記念号」(天理時報社、英知大学) 2000: [4]
  • 『炎』(追悼集)(上林商店) 1984

脚注

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