山内西村
日本の広島県比婆郡にあった村
山内西村(やまのうちにしそん[1][2])は、広島県比婆郡にあった村。現在の庄原市の一部にあたる。
やまのうちにしそん 山内西村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 庄原町、高村、本田村、敷信村、山内東村 、山内西村 、山内北村 → 庄原市 |
現在の自治体 | 庄原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 比婆郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,142人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 口南村、山内北村、山内東村、双三郡三良坂町・和田村・十日市町・河内村 |
山内西村役場 | |
所在地 | 広島県比婆郡山内西村大字上字日向大才組 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集西城川の流域に位置していた[2]
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、恵蘇郡殿垣内村、水越村、本郷村、高茂村、尾引村、木戸村、上村、下村が合併して村制施行し、山内西村が発足[1][2]。旧村名を継承した殿垣内村、水越、本郷、高茂、尾引、木戸、上、下の8大字を編成[2]。
- 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により比婆郡に所属[1][2]。
- 1908年(明治41年)山内信用購買組合設立[2]
- 1924年(大正13年)村内全域に電灯普及[2]。
- 1954年(昭和29年)3月31日、比婆郡庄原町、高村、本田村、敷信村、山内東村、山内西村、山内北村と合併し、市制施行し庄原市を新設して廃止された[1][2]。
地名の由来
編集近世に山内郷または山内組17村と総称した地域を三分し、山内東・山内西・山内北とした村の一つ[2]。
産業
編集- 農業[2]
交通
編集鉄道
編集乗合馬車
編集教育
編集出身人物
編集- 沢原精一(貴族院多額納税者議員、地家主、沢原銀行取締役)
脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。