居初津奈女
江戸時代の女性著述家
来歴
編集居初氏、名は津奈。「津音」とも記す。貞享から元禄の頃にかけて、京都で女性向けの仮名の往来物を多く著し刊行している。その奥付には「居初女津奈」、「居初氏女津奈」などとある。これらは単に仮名の手本としてだけではなく、当時の女性が守るべき教訓や消息文の書き方、言葉遣いなどについても触れており、津奈女自身が描いた挿絵が入るものもある。その著『女書翰初学抄』の序文によればもともと京都の人ではなく、「壮年」の時に京に上って移り住んだ。そして20年ほど経った頃、ある人から「女文章のしるべ」となるものを書くよう勧められ、辞退したが「望める事数多度」だったので著したのが『女文章鑑』だったという。生没年は不明だが、延享4年(1747年)刊行の『女文章都織』はそれまでの津奈女の著作とは体裁などが違うことから、これは遺稿を出版したものであり、それ以前に死去していたといわれている。なお奈良県立美術館には「雛形絵巻」一巻(紙本着色)を所蔵し、これが津奈女の筆であると伝わるが落款や印章は無く、画風は吉田半兵衛風とされる。